Strategic CFO

ヤフー株式会社
常務執行役員 最高財務責任者 坂上亮介氏

国内インターネット企業の先駆者であり、時代とともに拡大を続けてきたヤフー株式会社。再び大胆な若返りを図った経営陣の一角として、CFOのバトンを受け取った坂上亮介氏。
モバイルペイメントを含む金融事業の本格展開、グループ内の資本再編など、大きな転換期を牽引する同氏のキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

ー 本日は誠にありがとうございます。
こちらこそ、誠にありがとうございます。

ー いろいろとお話が伺えたらと思っておりますので、何卒宜しくお願い致します。
お話できることは、いくらでもあると思いますので(笑)。

ー 坂上さん、生まれは大阪ですよね?
はい、大阪です。


常務執行役員最高財務責任者(CFO) 坂上亮介氏

ー 大阪のどちらなのですか?
泉南郡熊取町というところなんですけど、分からないですよね(笑)。

ー すみません。あまり土地勘が無くて…(笑)。
関西空港に近いところです。

ー あちらの方なのですね。
大阪全体的にも言えますけど、結構有名な野球選手を輩出しているような地域ですね。

ー 幼い頃のエピソードなどございますか?
習い事とかは、パラパラと…っていう感じだったんですよ。水泳とか書道とか、一般的なものくらいで。それこそ、放課後はみんなで野球をやっていましたね。

ー 時代というか、土地柄もあるのでしょうか。
そうですね。みんな近所で野球をやっていましたね。それで高学年になってくると、たまたま仲の良かった友達が塾とか行き始めたりしたので、だんだんとそういった流れになりましたね。

ー 自然とそういった流れになっていったとのことですね。


株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

みんな、だんだん遊ぶ時間も無くなってくるので、自分も「まぁ行くか」みたいな感じでしたね。

ー 中学受験もされたと。
はい。塾に行くと、そういう志の人達ばかりなので、やはり頑張りたいなって思うようになりますよね。

ー もともと成績自体も良かったのですか?
小学校の中だと、普通よりは良かったかなといったレベルだと思います。

ー 私立の中学校に進む人数も、そこまで多くなかったのでは?
そうですね。やはり今とは違いますよね。クラスでもほんの数人でした。

ー 教育熱心な親御さんだったというわけでもないのですか?
まったく無かったですね。
両親共働きでしたし、兄弟がいないので、小学校4年生くらいからは鍵っ子というか、自分で家に入って、ちょっとつまみ食いをして塾に行くみたいな。そんな環境でしたね(笑)。


 

ー それで私立に行けたというのは、やはり塾の中での環境がそうさせたということなのですかね。
そうですね。特にライバル心とか、それで燃えるという性格ではないんですけど、周囲のみんなが行こうとしていると、自分だけアウトローになるのも嫌だな…というような心理だったと思います。

ー 中学に進学されて、何か始められたことはあるのですか?
軟式テニスですね。比較的強い学校だったんですよ。

ー 本格的に打ち込まれていたのですか?
そうですね。中学生だった3年間は、勉強というよりは、本当に夜真っ暗になるまでやっていましたね。もちろん土日もありましたし、正月も休みなくやっていましたね。
殴られたり、蹴られたりするのも日常茶飯事で(笑)。

ー そんな時代ですよね(笑)。



今思い返すと、通学に1時間以上かけていましたからね。家が本当に大阪の南の方なので、満員電車に揺られて、電車だけで50分、学校も駅から15分くらい歩くので。

ー 地元が同じ方などはいらっしゃらなかったのですか?
全然いなかったですね(笑)。僕一人でした。電車も往復一人で。朝練やって、夜練やって、一人で往復の電車に揺られて…。

ー 相当タフですよね。
でも、当時はそれが当たり前だという感覚があるので、そんなに大変だっていう思いは無かったですよね。さすがに高校までは続けなかったですけど(笑)。

ー 中高一貫校だったのですか
そうですね。

ー 高校ではテニスを続けられなかったと。
やはり自分の時間が全く無かったので、途中からは、みんなも塾に通い始めたりしていたので、だいぶ穏やかな高校生活でしたね。
あと、高校1年生の時に、親にお願いしてパソコンを買ってもらったんですよね。中学時代に体育会で疲れた反動で、家にこもった高校時代というか(笑)。


 

ー パソコンを購入する時期としては、だいぶ早いですよね。
そうでしたね。Windowsとかがまだ無い時代でしたからね。

ー どういった流れでパソコンへの興味が出てこられたのですか?
小学生時代からラジコンとか、メカニックをいじることが好きだったんですね。それで、そういうお店に行くと、パソコンの雑誌が置いてあって、よく立ち読みをしていたんですよ(笑)。

ー 親御さんにお願いをして買ってもらったと。
そうですね。今でも覚えていますよ。大阪にある電気街に父と一緒に行って。結果的に欲しいやつの2つくらい下のグレードになりましたけど(笑)。

ー 友人もパソコンを購入されていたのですか?
いや、僕だけでしたね。友達とはそういう話すらしていなかったと思うので。結構好きでいろいろいじくっていましたね。プログラミングっぽいこととか、ゲームをやったりとか。

ー そのまま大学受験を迎えて…といったご状況でしょうか?



大学は推薦だったんですよ。進んだのは南山大学ですけど。
でも、受験シーズンになると、自分よりも成績が伴わなかった子がすごく良い大学に進んだりするのを見て、完全に保守的な選択だったなと感じましたね。チャレンジしておくべきだったなって。
挑戦して、大きい果実を取るということはあるんだなと、すごく気付かされました。

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