Interview

インタビュー

グリー株式会社 取締役上級執行役員 大矢俊樹氏

カリスマ創業者が去り、大きな転換期を迎えたヤフー株式会社にCFOとして復帰。再び時価総額を3兆円台まで回復させた宮坂体制を、副社長兼CFOとして支えた大矢俊樹氏。激動の6年間を経て、現在、グリー株式会社の取締役として全体を牽引する同氏のキャリアストーリーを伺った。

※インタビュアー/株式会社Widge 代表取締役 柳橋貴之

特損も出されたということですか?

そうですね。一度きれいにしないとと思ったので。
ただ、帳簿的にはきれいになったとしても、実態をもっと変えないといけないな…と、すぐに思ったんですよ。

確かにそうですよね。事業サイドにも切り込んでいかれたということですか?

おっしゃる通りですね。事業の構造そのものを変えなければと思って、一年くらい自らその事業を見ることにしたんです。
パッケージソフトのビジネスっていうのは収入が3種類くらいあるんですけど、その中でもライセンス収入にとても依存していたんですね。やはり利益率が高いので。
ただ、業績のインパクトがあまりに大きかったので、少しでも計上が遅れたりすると、あっという間に下方修正になってしまうんですよ。
ライセンスが欲しいために、他の収入源を値引きしたりしていたので、構造を変えようと思いました。
あえて保守料を値上げしたんです。2倍くらいに値上げしましたね。保守で安定した収益を稼ぐような体制に変えて、会計上もだいぶまともになりました。

収益構造にメスを入れ、良い循環になっていったということですね。
他にも何か改革をされたことはあったのでしょうか?

あまり実行をしたくなかったですが、コスト削減という面で、希望退職を募ったこともありました。売上が100憶円程に対して、社員数が1000名程いて、さすがに厳しい状況でしたので、結果的に10%くらいの希望退職を募りましたね。

あとは、歴史のある会社でもあったので、良くも悪くも、人が停滞していたという事実がありました。同じ人がずっと同じ仕事をしていたり、組織もマンネリ化していたので、組織も変えようと。
それぞれ事業が異なるということもあって、機能別の組織に変えるということが難しかったので、持ち株会社化を推進したんです。それでだいぶ流動性を担保することができて、組織も活性化しました。

なるほど。様々な施策をされていたのですね。

そうですね。他にもいくつかやったことはあるんですが、何年かかけていろいろと動いた結果、何とか黒字が出るようになりました。

素晴らしいですね。
その後またヤフーさんに戻ることになっていますが、ある程度、やりきったという思いからなのですか?

いや、最後の1年は社長をしていたのですが、ヤフーからの出向ということではなく、完全に転籍をしていましたからね。上場もしている会社だったので、上場企業の社長がすぐに辞めるわけにもいかず、自分自身もずっとクレオの成長を…という思いだったんですよ。

ヤフーさんからどうしても戻ってきてほしいと。

2012年の1月頃だったと思うんですけど、宮坂さんと川邊さんから「用事がある」と。
今でこそ、その2人のセットには違和感は無いのですが、当時は、宮坂さんがコンシューマ事業を見ていて、川邊さんがGYAOの社長だったんですよ。「なんでこの二人が一緒に来るんだろ?」って。

お二人がオフィスに来られたということなのですね。

そうなんです。何事かと思っていたら、井上さんが退任すると。

宮坂さんから、「自分が社長になって川邊が副社長になる」と。「今の立場を辞めて、CFOとして戻ってきてくれないか」と。

すごいお話ですね。

16年くらい井上さんがやっていたので。
そもそも経営体制が変わるなんて全く考えていなかったので、相当な驚きでしたね。

ただ、上場企業の社長という立場もありました。

そうですね。さすがに社長として1年目でもあったので、厳しい判断でした。ただ、ヤフーとしての体制変更というのは、社会や市場に対するインパクトも本当に大きなことで、自らがやらなければという思いが大きかったです。
結果的にヤフーへ戻るという選択をして、何とか後任も立てたのですが、その後のしわ寄せも大きかったと思っていて、この点は今でも非常に反省をしています。

葛藤の末のご決断ということが、とても伝わります。

本当に悩みましたね。
でも時間が全く無かったので、すぐに決断をしなければなりませんでした。
1月に話をもらって、発表が3月。いろいろと考えた結果、この大役を引き受けることにしました。

以前在籍されていた頃のヤフーさんと、戻った後のヤフーさん、だいぶ環境も変わっていたのでは?

そうですね。6年も離れていたので、だいぶ変わっていました。

従業員数も5000名くらいで、管轄するコーポレート部門も全体で500名くらいになっていたので。
それぞれのセクションには、その道のプロのようなメンバーが揃っていて、とても素晴らしいチームでしたし、僕もしっかりとキャッチアップしなければと思いましたね。

最初の取り掛かりで、特に意識されていたことなどございますか?

巨大な会社なので、まずは把握するだけでも大変でしたね。最初の半年はそれに費やしたような気がします。
決算発表もレベルが全然違いますし。
ネットセクターのアナリストが勢ぞろいして、あらゆる質問をされ、通訳されたものが世界中に同時配信されて…というような世界観なので。
就任して1ヶ月くらいで、それをやらなければならない環境だったので、常に気が張っていたような状態でした(笑)。

当時の時価総額はどれくらいだったのですか?

就任当時は、そこまで高くなかったんですよ。1兆円台だったので。
しかも、アナリストがとても冷たいんですよ。前の経営陣があまりにカリスマなので、「何なんだ、お前らは?」みたいな顔をされて…(笑)。

品定めのような状態であったということですね。

そうですね。ただ、社内では「とにかく業績を上げよう」と。
無茶な話ですけど、「7年で倍にするぞ!」というアナウンスをしていました(笑)。

すごい攻めていましたよね。

自分の立場としては、特に利益を重視してやっていました。クレオ時代には特に利益を出すことに勤しんだので。業績が苦しいことに対する辛さがとても身に染みていたので、人一倍シビアだったと思います。

業績に対する意識は、並々ならぬものがあったということですね。

そうですね。だいぶ業績を意識してやっていったので、最初の2~3年はぐんぐん伸びました。株価も5兆円近くまで上がりましたからね。

CFOとして素晴らしい功績ですよね。

一方、任期後半は骨太な成長を模索する中で大きな投資が必要なフェーズで、業績と投資とのバランス感に悩むところでした。

M&Aも活発にやられていたような気がしますが。

そうですね。合計で100数十社なので、アクティビティとしては相当活発だったかなと思いますけどね。

一休さんやアスクルさんも。

1000億円の一休に、330億円のアスクル、350億円のKCカード(現・ワイジェイカード)と、大きなディールもありましたけどね。でも、中には実現できなかった案件もあったりするので、もう少しできたかなという思いが単純にありますね。

そうでしたか。
ちなみに、組織マネジメントという点で、当時意識されていたことなどありますか?

各部門長とは、経営目線でのコミュニケーションということを常に意識していました。
それぞれ各領域のスペシャリストということもあり、テクニカルなことでこちらが細かく指示をする必要はないので、視座を高く保つということですかね。

あとは、価値観の共有でしょうか。それぞれキーワードに落とし込みながら、長い時間をかけてすり合わせをしていきました。

加えて、自分自身がグループ会社に行って成長できたように、できる限り異動をさせて、異なる視点からの成長ということを実践させていました。
コーポレート内での異動も可能ですし、グループ会社への出向も可能なので、積極的に促していましたね。

大矢さんが就任される前よりも、組織の流動化はだいぶ活発になってきたのでしょうか?

前はほとんどそういったことが無かったので、だいぶ変わったと思います。当時の僕は完全にレアケースなので(笑)。
小さな所帯でも、経営責任を持って仕事をするというのは非常に成長につながると思うんですよね。
自らが意思決定をするという経験は、その立場にならないとできないですし、こればかりは経験がものをいうと思っているので、メンバーの皆にもそういった話はしていました。

自らの経験を振り返って、本当に大切だと感じられているのですね。

クレオでCFOとCEOの双方を経験してみると、正直だいぶ違うなと感じたんですよ。
上場企業ということもあったのですが、最終責任者の重みというものは常に肩に乗っていましたね。
最後に誰かの支えがあるということと、そうではないということの違いは、非常に大きいなと思いました。

たしかにそうかもしれないですね。
一方で、ヤフーさんに戻られたあとは、数兆円企業のCFOです。
当然ながら、相応のプレッシャーはありましたよね?

それはもう当然ですよ(笑)。

IRで意識されていたことなどありますか?

説明をするというよりは、何かのストーリーを届けなければという意識はありました。単に数字の説明だけであれば担当者でも良いので。
マネジメントとして話すのであれば、ポジティブなインプレッションを届けないといけないので、将来の成長やポテンシャルに関して、何らかの期待感を持って頂けるようなコミュニケーションは意識していましたね。